生きるとは②

■先日書いたブログ

https://reform-shinchiku.com/%e7%94%9f%e3%81%8d%e3%82%8b%e3%81%a8%e3%81%af/

 
実は、近しい方の奥様が亡くなり、かける言葉が見つからない自分自身にモヤモヤしていたというか。
励ましてあげたい、元気づけてあげたい、けどどんな言葉も不適切に思えて何も言えない。
何も言わない。が正解だと思います。
 
もしも自分ならどう生きていくのか。
逆に自分が死んでしまったら大切な人にはどう生きていって欲しいのか。
 
生きるとは?という事を改めて考えてみるきっかけになったわけです。
それを受けて修理大家さんが素敵な記事を書いてくれました。
 
■修理大家さんの記事リンク
 
 
ヒは日・灯・火・陽・霊
ヒは全て暖かく照らすもの
ヒ来ている→生きている
暖かく照らすものが来ている
 
人=ヒト
トは留まる・止まる・泊まる・停まる
暖かく照らすものが留まる
 
良いお話ありがとうございます。🙂
暖かく照らしているかどうか。
 
感じている事が言語化された気がします。
そうあろうとは思っていますが、僕の考え方は自分に寄り過ぎているのではないかとも思いました。
 
自分と自分の周りだけでなく、できるだけ沢山の人を暖かく照らすべきだと。
 
その後、さすらいさんもこのテーマで記事をアップされていました。
 
■さすらいさんの記事リンク
 
生きてきて良かったと、生きる喜びを感じながら生きていきたい。
その為には、他人や社会の役に立つ事で「自身の存在意義」を実感して真の喜びを感じるのではないかと。
古家再生の仕事から自身の存在意義を強く感じたと。
ビジネスライクなのがさすらいさんだと思っていたので意外でしたが、この仕事はやはりそういう思いが無いとできないですよね。
人間くささを感じれて親しみが増しました(笑)
 
一方、僕が仕事で他人や社会の役に立つ事で真の喜びを感じているのかどうかと考えてみると、なんかちょっと違う気がする。
仕事の姿勢として他人や社会の役に立とうという気持ちはありますが、どちらかというと義務を果たしているという感じ。
もちろん喜びはありますが、存在意義までは感じない。
どこかで自分のやっている事なんて誰かができる事だし、自分でなくても良いと感じてしまっている。
誰かができる事をする人、であっても存在意義はありますが、自分じゃないとできない事をやってやろうという気持ちも大きく、まだまだとしか思えない。
 
そして多分、誰の役に立たないとしても家の再生はするだろうなと思う自分もいる。
想定が飛躍しますが無人島にいたとして、多分拠点をいくつも作り続けるし、常に改良していくだろうなとか。
時間とお金が無限にあるなら他人の手伝いも厭わないだろうなとか。
いわば趣味みたいなもんです。
それがたまたま仕事につながっていると(笑)
 
それよりは、日常的なささいな時間を家族と過ごす事や、料理をして家族が喜ぶ顔を見るとか、そういう事に喜びを感じる。
ああ、そうか。
今、仕事よりも存在意義を感じれるのが身近な人の役に立つ事なのか。
 
冒頭の、自分ならどう生きていくのか、大切な人にどう生きていって欲しいのかの答えとしては、「小さな事でも良いから、自分なりの存在意義を感じられる事を見付けて周りを暖かく照らす様に生きましょう」というところでしょうか。
僕がまとめるとバカっぽいですが(笑)
 
今思えば若い頃には誰かの為とかこれっぽちも思ってなかった様な気もするので、自分で気付くしかないとは思います。
なので、大切な人には「好きに生きろ」としか言えないですね。
 
結局、奥様を亡くされた方への言葉は見つからないままですが、きっと大丈夫。
誠実で人柄の良いその方なら大丈夫。
お子様達もその背中を見ていると思います。
 
お二人の学のある記事で色々考えさせていただきありがとうございます🙇‍♂️
 
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プロフィール

大政 容平
大政 容平エン・ワークス(設計士・宅建士)
大工・2級建築士・宅地建物取引士。1980年生まれ。2児の父(男の子と女の子)。趣味は、ギター・料理・日曜大工。大工は元プロですが(;^_^A。子供は何でも作れると思っちゃってます。建築・デザインが好きで、リフォームや新築も承ります。(100棟超の新築住宅設計)ブログもやってますので、見てみて下さいね♪

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